AIに任せる範囲を、
誰が決めるのか。
配る、組み込む、任せる。本命は、組み込むことではなくなった。
2026年7月に本稿を公開したとき、エージェント型の業務自動化は「将来像」でした。 それから2か月半のあいだに、複数日にわたって自律稼働するエージェント基盤が主要ベンダーから相次いで正式提供され、 国内外の金融機関では、回答するだけだったAIが、送金の追跡や支払の確認といった「実行」を担い始めています。 問いは「どの業務にAIを組み込むか」から、「どこまで任せ、どこで人が止めるか」へ移りました。 本稿はその問いに、公開されている一次資料だけで答えます。
Executive Summary
配る、組み込む、任せる。三つ目の段階が、2か月半で製品になった。
金融機関の生成AI活用は、全社員にCopilotを配る段階(Step 1)、社内ナレッジや個社データを業務プロセスに組み込む段階(Step 2)を経て、 AIエージェントに実行を任せる段階(Step 3)へ進みます。7月版ではStep 3を将来像として描きました。 その後、7月29日にGoogleが最大7日間連続稼働するエージェント実行基盤と、最小権限IAM・監査ログ・プロンプトインジェクション対策を同時に正式提供し、 7月9日にはOpenAIが「必要なら数時間プロジェクトに取り組み続ける」企業向け製品を、8月19日にはAnthropicがコンピュータ操作・ブラウザ操作機能をベータから正式版へ移行させました。 三つ目の段階は、もう選択肢として目の前にあります。
Step 3 が製品になった以上、経営の問いは「組み込むか」ではなく「任せるか、どこまでか」になる。
出典:日本銀行「金融システムレポート別冊」(2026年8月6日)/Google Cloud(2026年7月29日)/OpenAI(2026年7月9日)/Anthropic リリースノート(2026年8月19日)
Status Quo
「使うか」の議論は、統計の上で終わった。
日本銀行が2026年8月6日に公表した金融システムレポート別冊によれば、9割強の金融機関が生成AIを利用または試行中で、 地域銀行では前年から顕著に増えました。同レポートが「今後の課題」として挙げたのは、精度でも導入率でもなく、 ガバナンス、サードパーティのリスク管理、セキュリティです。 一方で、生成AIの出力を顧客に直接提示している先は「現時点で少数」と指摘されています。
つまり、配る段階は統計の上で終わり、組み込む段階は進行中で、任せる段階はまだ少数——これが2026年9月時点の国内の現在地です。 7月版で「コモディティ化した」と書いた汎用活用は、いまや「使っていないほうが珍しい」段階になりました。
出典:日本銀行 金融システムレポート別冊「金融機関における生成AIの利用状況とリスク管理」2026年8月6日。比率は同レポートの表現(9割強)をそのまま用いています。
経営層が問うべきは、「何人が使っているか」でも「どの業務に組み込むか」でもなく、「この業務で、AIが何をしたら人が止めるか」である。
What "Delegate" Means
回答するAIと、実行するAIは、別のものである。
2026年7月から9月にかけて、国内外の金融機関で「回答するAI」が「実行するAI」に置き換わる事例が、一次資料で確認できる形で現れました。 DBSは7月28日、生成AI対応のバーチャルアシスタントが1,000万人の顧客に到達したと発表し、法人向けの Joy はシンガポールで 支払確認や送金追跡といった実行可能なタスクの完了に対応済み、個人向けのエージェント機能は第4四半期に実装予定と明らかにしました。 楽天証券は9月2日、AIエージェント型チャットサポートを提供開始し、従来のAIアシスタントを同日に終了しました。 千葉銀行は8月10日、AIエージェント50体を稼働させ、行員2,000人分の労働力創出を目標とする営業支援システムを公表しました(稼働は2028年2月)。
「任せる」とは、実行と自律の段階にAIを置くこと。回答・提案までなら、間違いは人の目の前で止まる。
出典:DBS Bank(2026年7月28日)/楽天証券(2026年8月27日発表・9月2日開始)/千葉銀行・セールスフォース・ジャパン共同発表(2026年8月10日)。千葉銀行の事例は計画段階であり、稼働は2028年2月予定です。
Strategic Diagnosis
任せる範囲は、「取り返しのつかなさ」で決める。
7月版では、ユースケースを「業務インパクト」と「実現難易度」で分類しました。任せる段階では、軸が変わります。 縦軸は任せる範囲(回答→提案→実行→自律)、横軸は取り返しのつかなさ——間違えたときに、人が事後に戻せるかどうかです。 取り返しがつく業務(社内照会の回答、下書きの生成)から実行を任せ、取り返しがつかない業務(送金、与信判断、開示)では提案までに留めて人が止める。 これが順序の原則になります。
順序は左上から。「実行×戻せる」で運用と記録の型を作り、その型を持って「実行×戻せない」に承認ゲートつきで入る。
Use Case Value Chain
全体地図:どの業務で、どこまで任せられているか。
業務系統別のユースケース地図に、2026年9月時点で一次資料により確認できる「任せる範囲」の到達段階を付しました。 回答 提案 は多くの金融機関で公表事例があり、 実行 は顧客接点と事務で始まったばかりです。 銀行5業務・証券3業務については、それぞれ独立したPDFで工程レベルまで掘り下げています。
営業・顧客対応Front
- 顧客照会の一次完結 実行
- 法人RM面談準備 提案
- 提案書ドラフト 提案
- Next Best Action 提案
融資・審査Middle
- 融資稟議書ドラフト 提案
- 決算書読み取り 回答
- コベナンツチェック 提案
- 与信判断 人
事務・オペレーションBack
- 行内照会の応答 実行
- 書類の一次チェック 実行
- 相続手続き案内 回答
リスク・コンプライアンスControl
- AMLスコアリング 提案
- 調査メモ・届出ドラフト 提案
- 届出の判断 人
財務・経営管理Management
- 拠点データの取込・整形 実行
- 予実差異分析 提案
- 経営会議資料ドラフト 提案
IT・システムInfrastructure
- コード生成・テスト 実行
- レガシーコード解析 回答
- リリース判断 人
市場・資産運用Markets & Asset Mgmt
- 運用レポートのドラフト 提案
- 市場イベントの影響整理 回答
- 商品説明の適合性チェック 提案
人事・人材育成HR & Training
- AIロールプレイ研修 実行
- 人事制度・規程FAQ 回答
- 研修コンテンツの生成 提案
リテール・顧客接点/融資・審査/事務・バックオフィス/リスク・AML・不正検知/システム開発・レガシー刷新。各編25ページ・図解11点。
銀行編 全5編(PDF)を見る →The Three Walls
7つの壁の上に、3つの壁が乗った。
7月版で挙げた7つの壁——データ散在、個社ルールの未明文化、権限管理、数値の正確性、説明責任、既存システム連携、人の承認プロセス——は、いまも消えていません。 任せる段階に入ると、その上に別の性質の壁が3つ乗ります。7つの壁は「AIに何を与えるか」の壁でした。3つの壁は「AIが出したものを、誰が引き受けるか」の壁です。 これは当社が銀行5業務・証券3業務を1編ずつ深掘りしてきた8編で、毎回たどり着いた結論そのものです。
下の7段は「与える」設計、上の3段は「引き受ける」設計。任せる段階の投資は、上の3段に集中する。
- 範囲 — AIに何を見せてよいかを、案件ごとに定義できるか AIは参照できる情報が広いほど強くなります。しかし金融機関には、見せてはいけない情報があります。投資銀行業務では、未公表の重要事実を扱うため、AIの参照範囲を案件単位で定義し記録できない限り、そもそもAIを入れられません。7月28日のMCP仕様改訂で企業向けの認可(Enterprise Managed Authorization)が正式統合され、Googleの Agent Identity が最小権限IAMを製品化したのは、この壁が業界共通の課題として認識された証左です。 証券③「知っていることを、使ってはいけない。」→
- 記録 — AIが出したものを、誰の名で、誰の操作として残すか 米国の規則はリサーチ・アナリストを「自然人」と定義し、レポートの見解を本人に証明させます。AIは分析を生成できても、それを引き受けることはできません。同じ構造は、レガシーシステムの刷新でも現れます。コードを生成できても、「なぜそうなっているのか」という決定の理由は別途たどらなければならない。任せる範囲が広がるほど、AIの行動を自然人に紐づけて残す記録の設計が、統制の中心になります。 証券②「そのレポートは、誰の見解か。」→
- 確認 — 増えた出力を、誰が通すか ウェルスマネジメントで面談準備の時間は確かに減りましたが、担当できる顧客の数は増えていません。決めているのは営業員の時間ではなく、組織が一人の顧客に払う確認の量だからです。AIが提案を増やしても、承認・モニタリング・適合性検証の側にAIを置かなければ、増えた提案は「通らない提案」のまま溜まります。任せる段階の投資対効果は、生成側ではなく確認側の設計で決まります。 証券①「時間は返ってきた。顧客の数は、増えなかった。」→
Deep Dive
4つの業務で、「任せた後」に人が止める場所はどこか。
7月版では Before/After で「組み込んだ後」を描きました。9月版では、After をさらに一段進めた「任せた後」を描き、 各業務で人が止める場所を明記します。止める場所が決まっていない業務には、まだ任せられません。
財務企画・経営管理
データを自動取込し、AIがフォーマット不備の検知・個社ルールに基づく集計・予実差異の要因分析まで実行。人は確認・承認に集中し、経営報告ドラフトがほぼリアルタイムで整う。
エージェントが締め日に各拠点のデータを取りに行き、不備があれば拠点に差し戻し、揃ったところで集計と差異分析を実行し、経営会議資料の初稿を所定の場所に置く。ここまでは事後監査で足りる——取り返しがつくからである。
融資・審査
資料収集段階でAIが決算書・財務データを自動読取・要約し、分析段階で取引履歴の整理・業界動向・論点抽出を支援。稟議書ドラフトまでAIが用意し、人が確認・修正・審査する。
申込を受けたエージェントが、必要書類の不足を顧客に案内し、揃った時点で読取・分析・稟議ドラフトを生成し、審査基準との整合を自己点検したうえで審査部の受付箱に入れる。審査が申込時点の「点」から取引を通じた「線」に変わったいま、モニタリングの側にもエージェントを置く。
法人営業・ウェルスマネジメント
準備段階でAIが顧客情報・取引履歴・外部ニュースを統合して顧客概要を要約。面談では提案書ドラフトや承認済みの説明文言を補助し、面談後は記録ドラフトと次回アクション候補を提示する。
面談記録がCRMに入り、フォロー文面が送信待ちの箱に揃い、次回面談の候補日が顧客に打診されるところまでエージェントが進める。だが、提案が増えても通る提案が増えなければ、担当できる顧客の数は増えない。承認・適合性検証の側にエージェントを置いて初めて、生成側の速さが成果になる。
リスク・コンプライアンス・監査
AIが規制と規程の差分抽出、AML調査対象情報の要約、必要確認項目の提示を行い、調査メモ・疑わしい取引届出ドラフト・内部監査調書を出力。担当者は最終判断と承認に集中する。
全取引を常時スコアリングするエージェントが、閾値を超えた口座の関連先を辿り、調査メモと届出ドラフトを揃えて担当者の受付箱に入れる。2027年4月の金融機関間の情報共有制度を見据えると、一行の中で完結しない調査を前提にした設計になる。
Design Principles
8つの設計原則。筆頭は「人が止める場所」になった。
7月版の7原則は、ユースケース起点を筆頭に置いていました。任せる段階では順序が変わります。 筆頭は「人が止める場所を先に決める」、そして新設が1つ——予算と時間の上限です。 8月7日にAnthropicがセッション予算のハード上限と推論地域の固定を実装し、Googleの Agent Runtime が「最大7日間」と稼働期間を明示したのは、 自律するエージェントに「いつまで、いくらまで」を与えることが統制の前提だからです。
人が止める場所を先に決めるStop Points First
取り返しのつかない操作の直前に承認ゲートを置く。ゲートの位置が決まらない業務には任せない。
予算と時間の上限Budget & Time Bounds
エージェントごとに、使ってよいトークン・稼働してよい日数・呼び出してよい外部サービスの上限を先に与える。
範囲の定義Scoped Access
役職ではなく案件単位で、参照してよい情報の範囲を定義する。全社共通の機密度ラベルだけでは足りない。
自然人への記録Attribution to a Person
エージェントが何を参照し何を出したかを、操作した自然人に紐づけて残す。モデルの応答ログだけでは監査に耐えない。
根拠の限定Grounded AI
回答根拠を社内規程や承認済み文書に限定させる。7月版から変わらない。
確認側にもAIを置くAI on the Review Side
生成側だけ速くしても成果にならない。承認・モニタリング・適合性検証の側にエージェントを置いて、確認の量を増やす。
ワークフロー統合Workflow Integration
出力結果を既存の承認フローや記録管理に直結させる。エージェントの「受付箱」を業務システムの中に作る。
継続的改善Continuous Improvement
止めた回数・差し戻した理由を集計し、任せる範囲を段階的に広げる根拠にする。
Roadmap
現在地は、「任せる範囲の4段階」で見る。
7月版の5段階の成熟度モデルは、Phase 5(エージェント型)が製品として提供された時点で、階段としての意味を失いました。 任せる段階に入った以上、現在地を測る軸はツールの成熟度ではなく、自社がAIに任せている範囲と、その範囲を決めた根拠です。 多くの金融機関はいま、レベル1とレベル2の間にいます。
Lv.2 から Lv.3 への一段が、任せる段階の本命。ここを越えるのに必要なのは、モデルではなく範囲・記録・確認の設計である。
Executive Agenda
経営アジェンダと、次に着手すべき3ステップ。
当局の姿勢も変わりました。7月7日、金融安定理事会(FSB)と米連邦準備制度理事会は同日に、AI利用の重要性と機関の規模に応じた比例的な監督という原則を示しました。 一律の規制ではなく、任せている範囲の大きさで監督の強度が変わる——つまり「どこまで任せるか」を決めることは、監督対応そのものでもあります。 一方で、AIと情報隔壁の関係を正面から論じた当局文書はまだ一つしかありません。基準は、先に決めた金融機関が作る側に回ります。
金融機関の経営層へ(The Executive Mandate)
- どの業務で、AIが何をしたら人が止めるか——止める場所の一覧を持つ
- AIに参照させてよい情報の範囲を、全社ラベルではなく案件単位で定義する
- 生成側だけでなく確認側にもAIを置き、「通る出力」を増やす
- 任せた範囲を、監督当局に説明できる形で記録する
支援ファーム/SIerへ(The Partner Opportunity)
- 「ツール導入」から「任せる範囲の設計」へ。承認ゲート・参照範囲・記録の設計が支援の中心になる
- 7つの壁(データ整備)は引き続き必要だが、投資の重心は3つの壁(範囲・記録・確認)へ移る
求められているのは AI を「組み込む」ことではない。AIに任せる範囲を、自社で決めることである。決めていない範囲は、任せていないのではなく、決めないまま任されている。
次に着手すべき3ステップ
直近3か月にAIが関与した業務を棚卸しし、各業務で「AIが何をしたら人が止めるか」を書き出す。書けない業務が、決めないまま任されている業務である。
「任せる範囲 × 取り返しのつかなさ」の4象限に配置し、「実行×戻せる」から順に、範囲・記録・確認の設計を作る。
全社AIが案件データに接続しているかを確認する。接続していないことの確認も成果である。接続する前に、範囲の定義を終える。
本稿は、以下の公表資料をもとに株式会社TMSI Partnersが独自に整理・分析したものです(2026年9月時点)。数値はいずれも発表主体の一次資料で確認したものに限り、報道のみで確認できた数値は掲載していません。事例の帰属や数値は出典により定義・時点が異なる場合があります。
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